Prinkun

ナチュラルな心で、感じたことを言葉に

ひとりごと

 

自分のアイデンティティーを考えるためのワーク

過去の自分について振り返ってみた。

 

 

小学校の通知表には、いつも

「他人のことを考えるあまり、消極的な行動をとってしまう事が多いようです」

と書かれていた。

 

確かに

先生の質問に手をあげるのも、あまりみんなが上げているときには

遠慮していた。

まわりの子には

気さくに声をかけたり、

一緒に遊んだりして

いつも一人にはならなかった。

むしろみんなといて楽しかった。

 

その分自分が何をしたいのか、

自分の欲求というものがなかったようだ。

 

転勤族だった。

転校すると目立つ

みんなの目が一斉に自分にくる。

 

いじめというか、男の子がちょっかいを出してきたりする。

女の子が、おせっかいに声をかけてくれる。

自分のペースというものをつかむには

なかなか難しい環境だったとも思うが、

 

私はピアノが弾けたから、

学校行事や朝礼の行進曲や校歌斉唱の伴奏など、

体育館の全校行事ではいつもピアノのそばに居場所があった。

 

それが、自分は特別といった強みにも

確かになっていた。

おせっかいな女の子にも

少し距離をとった

大人の対応が出来た

ちょっかいを出してくる男の子には

こちらからいたずらを返すほどの余裕もあった。

 

その分、弟は

私のクラスの男の子にさえ

いじめられて、いつも泣いていた。

弟は、優しさをベースに

泣いて泣いて強くなっていった。

 

私は、顔も色白で、目が大きくて

誰からも可愛いと言われていた弟が大好きだった。

2歳しか離れてなかったけれど

小さいときから、私のものみたいに思っていたところがあったようだ。

 

二人で保育園に預けられ、

弟は赤ちゃんのクラスで、

外で遊べず鍵をかけられていた。

外の滑り台に上って

弟の泣き顔を見て

私は、弟にゼスチャーで中から鍵を開けるよう指示して

弟を外に連れ出して遊んだ記憶がある。

 

写真に写っている弟と私

泣いている弟を無理に抱っこしている私

弟は必ずしも

楽しくはなかったようだ。

 

生まれてから2歳ころまでのエピソードは

赤ちゃんだった弟をかわいがり、

自分のマーブルチョコレート(直径1cmほどの丸いボタンのような形)を口の中に入れてあげて、

危うく弟は窒息するところだったと聞かされたことがある。

 

 

高校を卒業して、

宗教団体に住み込みで、家事見習いのようなお手伝いに上がった。

父母の離婚で、

自分の進路が考えられなくなってしまったこともあり、

自分は、家族の精神的支柱になりたいという思いからだった。

 

裸で飛び込んでいった世界は、

古くからの信者さんや、身内の親戚関係などの縛りが

とても強く

私には居場所がなかった。

 

 

自分の力で、自分の足で、

地に足をつけて生きていきたいと思った。

 

今の仕事は、向いていると思う。

自分が生活していけること

相手のために自分に何が出来るかを考えることが

自分の生きがいにもなっている。

 

 

 

私のアイデンティティ

まわりの人を幸せにしたいという

思いが強いということではないだろうか。

 

そう、

だから

私の周りにいる人はみんな幸せになれるはず。

 

今、幸せでなくても、

私のそばにいれば、

きっと幸せになれる

何を与えてあげられるというわけでもないけれど

私はそういう人間だからということで。