Prinkun

ナチュラルな心で、感じたことを言葉に

第6番札所  湯船観音様

また国道にもどって、今度は、日本海に向かって

どんどん進んでいきます。

湯船の観音様は、日当たりの丘の上にあります。裏山はひろくリンゴを植えており、

農道でトラクターと会ったりすることがあります。


参道は湯船の小さな集落から長い階段を上がっていくのですが、

何度か参拝しているうちに、そちらの農道から車で上がっていく道を教えてもらいました。

ここに来ると、いつもさわやかな風を感じます。

光と風がとても心地よい場所です。

きっと、私のパワースポットになっていると思います。

そして、「ありがとうございます」と自然に言葉が出てくるのです。

 

そうですね。香りとしては、フランキンセンス

清楚で、さわやかで、心地よい。

そんな観音様です。

第5番札所 巖鬼山神社

巖鬼山神社は、国道から山に入っていったところにあります。

山に入ると言っても登っていくのではなく、

降りて行く感じでずんずん進んでいきます。

途中、道路は悪いです。

舗装はされているのですが、冬季間の道路の傷みや、

森林のごみなどがたくさんあり、

これ以上進んで行ってもいいのかと

思うほど進んでいくと、

正面に突き当たり、

荘厳な杉の木に守られた神社があります。

入口には、湧き水がたたえられ、

静かな山の中にも

ホットする場所を作ってくれています。

少し長く続く参道の脇には、

もう一つの鳥居があり、

お社もありました。

低くなっているので、枯れ葉などが溜まりやすいのか、

お掃除してくれている人も見かけました。

地元の人達に愛されている神社なんだなあということが感じられます。

いろいろな行事に会わせて、
いろいろな町内会やらなにやらで奉納されています。

ここの神社の特徴は何と言っても

この大杉です。

この大きな杉たちが、何年も何十年も何百年も

私達の祈りの心を守ってきてくれているのだと感じることが出来、

自然に感謝の心が湧いてくる

ここまで来て良かったと思える場所です。

第4番札所

第4番は南貞院

町の中にひっそりとした佇まいで存在しています。

鶯の鳴き声が聞こえて

とても静かで、心地良い場所でした。

自転車で回っている参拝者に会い、

丁寧なあいさつが気持ち良かったです。

 

 

こんな天気のいい日には、自転車で

自然の空気を感じながら、

身体を鍛えるのもいいものだなと思いました。

道中、

こちらのお地蔵様たちは、

そろって赤いまいかけをつけて、

仲良く並んでおられました。

みんな一緒にいるだけで、幸せそうに見えます。

 

 

 


今年はバイクよりも自転車や、

ランニングをしている人を多く見負けました。

第三番札所 求聞寺



 

 

 

第三番札所は求聞寺

岩木山神社のすぐそばにあり、

人々の往来も多く

参拝に行くにも行きやすい感じがあります。

 

津軽地方でいう年神様の牛と寅にあたり、

牛年生まれの人、寅年生まれの人は、

お正月の初もうでなどにここに来て参拝しているようです。

 

観音様は

奥の方に静かに

と言っても

みんなにお参りされて喜んでいるように感じました。

 

ここにはいろいろな神様の像が安置されており、

これはご先祖様が三途の川をうまくわたれますようにと

力を貸してくれる神様のようで、

みんなお賽銭をあげて

お祈りしていました。

 

こちらも馬の観音様だと思います。

こんなに豊かにに奉られていて、全体的に明るい雰囲気を感じました。

 

ここでは、お守りを買ったり、おみくじを引いたり

御朱印をいただいたりして、

住職の方とも接することが出来ます。

なんだか、お参りをしたなという気分になれるところです。

 

参道の傍らには、お地蔵さんが33体

これは三十三観音どこに行ってもみうけられますが、

手作りのお賽銭いれというか、ポーチが一つ一つつけられており、

お地蔵様も笑顔に見えました。

 

第二番札所

一期一会という言葉

まさに

何度もお参りに来ている道筋ではあるけれど、

その度に

心に感じることが全く違う

今のこの私だからこそ感じることの出来る感覚

今のこの私だからこそ、目にとまる風景

 

そして今日はブログにあげようと思って

観音様を回ってきました。

 

第二番札所

水観

今日は風も強く、

森の木々がミシミシ音をたてていて、

なんだか怖い感じもしました。

 

途中で参道に沿って、脇に植樹されている木があり、

グーグルカメラで調べたら、ミント、とか南天とか、

同じ木のはずなのに、そのたびに違う名前が表示され、

あてにならないなと思ってしまいました。

まだ小さかったからわかりづらいのだと思います。

こうやって、人の手をかけたものが見つかると

ちょっとホットした気持ちになります。

 

少しづつ手をかけながら、

ずっとずっと引き継がれていくのですね。

 

 

ハイキング

 

 

途中

今まで気にも留めなかったものですが、

よく読んでみると

狛犬の石像も大したものらしいです。

メスが口をあけており、雄は口を閉じているという。

 

私は個人的にこの馬の石像の方が

興味がありました。

ふつう神社に行くと

キツネや狛犬がほとんどですが、

馬なんてめずらしいですよね。

これは、足をあげている方が雄なのかなと

勝手に想像しています。

 

 

お参りして気持ちがほぐれたとか、さっぱりしたというよりは、

森の中の寂しさを感じました。

荘厳さ、奥深さ、険しさのようなもの・・・。

朝早い時間だったからかもしれません。

これから、鶯や鳥たちが鳴きだし、

陽ざしが差し込むころになると

人々を癒してくれる力が感じられるのかもしれません。

 

そういう意味で考えると、

今回は、飾らない、素のままの、

神様の心に触れることができたのかしらとも思っています。

第二番札所

一期一会という言葉

まさに

何度もお参りに来ている道筋ではあるけれど、

その度に

心に感じることが全く違う

今のこの私だからこそ感じることの出来る感覚

今のこの私だからこそ、目にとまる風景

 

そして今日はブログにあげようと思って

観音様を回ってきました。

 

第二番札所

水観

今日は風も強く、

森の木々がミシミシ音をたてていて、

なんだか怖い感じもしました。

 

途中で参道に沿って、脇に植樹されている木があり、

グーグルカメラで調べたら、ミント、とか南天とか、

同じ木のはずなのに、そのたびに違う名前が表示され、

あてにならないなと思ってしまいました。

まだ小さかったからわかりづらいのだと思います。

こうやって、人の手をかけたものが見つかると

ちょっとホットした気持ちになります。

 

少しづつ手をかけながら、

ずっとずっと引き継がれていくのですね。

 

 

ハイキング

 

 

途中

今まで気にも留めなかったものですが、

よく読んでみると

狛犬の石像も大したものらしいです。

メスが口をあけており、雄は口を閉じているという。

 

私は個人的にこの馬の石像の方が

興味がありました。

ふつう神社に行くと

キツネや狛犬がほとんどですが、

馬なんてめずらしいですよね。

これは、足をあげている方が雄なのかなと

勝手に想像しています。

 

 

お参りして気持ちがほぐれたとか、さっぱりしたというよりは、

森の中の寂しさを感じました。

荘厳さ、奥深さ、険しさのようなもの・・・。

朝早い時間だったからかもしれません。

これから、鶯や鳥たちが鳴きだし、

陽ざしが差し込むころになると

人々を癒してくれる力が感じられるのかもしれません。

 

そういう意味で考えると、

今回は、飾らない、素のままの、

神様の心に触れることができたのかしらとも思っています。

ひとりごと

 

自分のアイデンティティーを考えるためのワーク

過去の自分について振り返ってみた。

 

 

小学校の通知表には、いつも

「他人のことを考えるあまり、消極的な行動をとってしまう事が多いようです」

と書かれていた。

 

確かに

先生の質問に手をあげるのも、あまりみんなが上げているときには

遠慮していた。

まわりの子には

気さくに声をかけたり、

一緒に遊んだりして

いつも一人にはならなかった。

むしろみんなといて楽しかった。

 

その分自分が何をしたいのか、

自分の欲求というものがなかったようだ。

 

転勤族だった。

転校すると目立つ

みんなの目が一斉に自分にくる。

 

いじめというか、男の子がちょっかいを出してきたりする。

女の子が、おせっかいに声をかけてくれる。

自分のペースというものをつかむには

なかなか難しい環境だったとも思うが、

 

私はピアノが弾けたから、

学校行事や朝礼の行進曲や校歌斉唱の伴奏など、

体育館の全校行事ではいつもピアノのそばに居場所があった。

 

それが、自分は特別といった強みにも

確かになっていた。

おせっかいな女の子にも

少し距離をとった

大人の対応が出来た

ちょっかいを出してくる男の子には

こちらからいたずらを返すほどの余裕もあった。

 

その分、弟は

私のクラスの男の子にさえ

いじめられて、いつも泣いていた。

弟は、優しさをベースに

泣いて泣いて強くなっていった。

 

私は、顔も色白で、目が大きくて

誰からも可愛いと言われていた弟が大好きだった。

2歳しか離れてなかったけれど

小さいときから、私のものみたいに思っていたところがあったようだ。

 

二人で保育園に預けられ、

弟は赤ちゃんのクラスで、

外で遊べず鍵をかけられていた。

外の滑り台に上って

弟の泣き顔を見て

私は、弟にゼスチャーで中から鍵を開けるよう指示して

弟を外に連れ出して遊んだ記憶がある。

 

写真に写っている弟と私

泣いている弟を無理に抱っこしている私

弟は必ずしも

楽しくはなかったようだ。

 

生まれてから2歳ころまでのエピソードは

赤ちゃんだった弟をかわいがり、

自分のマーブルチョコレート(直径1cmほどの丸いボタンのような形)を口の中に入れてあげて、

危うく弟は窒息するところだったと聞かされたことがある。

 

 

高校を卒業して、

宗教団体に住み込みで、家事見習いのようなお手伝いに上がった。

父母の離婚で、

自分の進路が考えられなくなってしまったこともあり、

自分は、家族の精神的支柱になりたいという思いからだった。

 

裸で飛び込んでいった世界は、

古くからの信者さんや、身内の親戚関係などの縛りが

とても強く

私には居場所がなかった。

 

 

自分の力で、自分の足で、

地に足をつけて生きていきたいと思った。

 

今の仕事は、向いていると思う。

自分が生活していけること

相手のために自分に何が出来るかを考えることが

自分の生きがいにもなっている。

 

 

 

私のアイデンティティ

まわりの人を幸せにしたいという

思いが強いということではないだろうか。

 

そう、

だから

私の周りにいる人はみんな幸せになれるはず。

 

今、幸せでなくても、

私のそばにいれば、

きっと幸せになれる

何を与えてあげられるというわけでもないけれど

私はそういう人間だからということで。